スキルUP

月収1000万円の医師は自腹でファーストクラスを利用しない。その理由とは?/ドラッカーと生産性②

管理会計のプロ・林總著『ドラッカーと生産性の話をしよう』より、「生産性」が持つ“真の意味”をストーリー形式で解説します。西園寺は同乗したファーストクラスの客を観察する。いろいろな意味で“選ばれた”客とは、どんな人物なのか(第2回)。

青年実業家・安田

「はじめまして。安田といいます。ニューヨークは出張ですか」

「どうも。まあ、遊びみたいなものだね」

突然話しかけられた西園寺は、無愛想に答えた。これに安田は敏感に反応した。

「遊びとは羨ましい限りですね」

あえていささかトゲのある言い方をする。西園寺がそれに答えた。

「そうだな。『半分仕事で、半分は遊び』と、訂正しておこう。仕事ばかりじゃつまらんからね」

(旅行中で浮かれてるのか。もっと真面目に答えたらどうなんだ。この俺を見下しているのか)

安田は捉えどころのない西園寺に苛立ちを覚えた。

安田は気持ちを落ち着かせるため、2、3回深呼吸を繰り返したあと、こう言った。

「私は50歳でリタイアするつもりです。それまでは、遊びなんて考えられませんよ」

西園寺は、そんな安田の言葉を軽く聞き流す。

「僕は若い頃から楽しみがないと働けない性分でね。それが正解だと思っている」

そして、ザムルーをひと口飲んだ。

「ニューヨークに行けば、最高の料理と最高の音楽を楽しむことができる。君も少しは羽を伸ばしてはどうだね」

「お気遣いは感謝します。でも、私はあなたより若い分、忙しい。ムダに時間を使いたくありません」

安田の周りには、若くしてビジネスに成功した若者が大勢いる。そのうちの何人かは、自家用ジェットを持っていて、世界中を駆け回っている。事業に成功したければ遊んでなんかいられない。

安田は、ビジネスとはゲームのようなものだ、と思っている。しかも、このゲームには勝ち方がある。俺は、すでに勝ち方を会得した。あとはその勝ちパターンをいかに何度も繰り返すか、なのだ。

人がその生涯で働ける時間は限られている。絶好調のいまは、ムダな時間は使いたくない。人生のピークがとっくに過ぎたとなりの老人とは違うのだ。

安田は、内心そんなふうに考え、自分が上だと思おうとした。とはいえ、となりの老人のことは気になって仕方ない。一体この人は何をしているのだろう。財産を残したくないからファーストクラスばかり利用する老人がいるという。おそらく、その手合いなのだろう。


安田には、相手の生活レベルを見抜くとっておきの方法があった。宿泊するホテルを聞くのだ。

「私はニューヨークではプラザホテルと決めてます。セントラルパークに面していて、よい場所ですし。あなたはどちらのホテルにお泊まりですか」

安田は、どこへ行くにも泊まるホテルは五つ星と決めている。誰に見られているとも限らないからだ。

「プラザホテルね。格調高いホテルだ。ペニンシュラもいい。でも僕は、その手の格調高いホテルは苦手だな。肩が凝るし、なんといっても高い」

「高いって、宿泊代のことですか」

「もちろんだよ。高いお金を払って寛(くつろ)げないのなら、泊まる価値はない。むろん僕の価値観を君に押しつけるつもりはないがね」

いろんな理由を並べているが、結局のところ、この老人はプラザホテルに泊まることの意味がわかっていないのだ、と安田は理解した。では、どこに泊まるのか。

「僕はいつも日系のKホテルと決めているんだよ。和食がうまいし、料金も安いからね。もっともプラザと比べてだが」

そう言って、西園寺は笑った。

「そうですか。失礼ながら、プラザに一度泊まったら考えが変わると思いますよ」

「ところで君は、メトロポリタンミュージアムは好きかな?」


西園寺が話題を変えると、安田は大きく首を左右に振った。

「仕事なんです。忙しくて、一度も行ったことはありません」

「それはもったいないね。人類が創り出した宝をたった25ドルで見られるんだ。上階にあるレストランもいい。僕はニューヨークに着いた翌日の午前はミュージアムで過ごして、午後はセントラルパークを散歩することにしている」

すると、安田は西園寺を挑発するかのように言った。

「へえ。私は着いた日の午後はミッドタウン・イーストにある事務所で会議をして、翌日はマンハッタンの支店を視察、その夜には日本に戻ります。なにしろ忙しいもので」

安田はコールボタンを押し、空のグラスを高く持ち上げ、シャンペンを催促した。


ほどなくして(注:キャビンアテンダントの)ケイコが白い布で包んだシャンペンを携えて現れ、安田のグラスに再び金色の液体を注いだ。

「安田様はワインにもお詳しいんですか」

「好きなだけだよ。ワインに限らず、いろんなことに関心がある。特に、私たちのような流行の先端を突っ走っている人間にとって、好奇心は命なんだ」

安田は冷えたシャンペンで喉を湿らせると、ケイコにしゃべり続けた。

「私はとことん追求する主義でね。ボルドーの五大シャトーは飲み尽くしたし、ブルゴーニュのロマネ・コンティやモンラッシェも飽きるほど飲んだ。ワインの話をすると、『グランヴァン(偉大なワインという意味)とスーパーの安ワインの味は値段の差ほど違わない』なんて言う人もいるが、こういう連中は、〝神の雫〟の味がわからないんだな。気の毒というしかない」

ケイコは安田の自慢話に何度も相槌を打った。話が面白いからではない。安田のような客は珍しくはないし、どのような客であろうと、いやな思いをさせないことがファーストクラスを任されたチーフパーサーの務めなのだ。


それから10分ほどすると、機体はようやく滑走路を目指してゆっくりと動きだした。

安田のとなりの席では、西園寺がウトウトと体を揺らし始めた。不思議なことに離陸前は、睡眠薬を飲んだときのように体から力が抜ける。ファーストクラスの乗客は皆、知らぬ間に眠りに落ちた。

◇ ◆ ◇

となりに人の気配を感じて、西園寺は目を覚ました。いつの間にかベルト着用のサインが消えており、ケイコが温かいタオルを西園寺に差し出していた。

「ありがとう」

西園寺はそのタオルでごしごし顔を拭くと、

「よいしょ」

と、掛け声をかけて立ち上がった。年をとると、ついついこの言葉が口から出てしまう。秘書からは「掛け声はお年寄りの証拠だそうですよ」とからかわれるのだが、事実、年寄りなのだから仕方がない。

(では、始めるとしようか)

西園寺は、内心でそう言った。

恒例の人間観察だ。ファーストクラスに乗る客は例外なく興味深い。そして、それには理由がある。

ひと言でいえば、いろんな意味で選ばれた人だからだ。


250万円の航空券を自腹で買える客は限られている。自腹でなくとも、会社の経費か、マイレージを使っての特典券か、あるいはビジネスクラスからのアップグレードでの搭乗だ。いずれにしても庶民には高嶺の花の席である。ところが、そんな豪華なシートに偶然、座ることができる客もいる。割引航空券なのに運よくアップグレードした客だ。

一堂に会した面々を見ながらその背景を想像するのが、西園寺の楽しみなのであった。

西園寺はくるりと向きを変えて、後方にあるビジネスクラス用のトイレに向かって歩きだした。

こうすることで、ファーストクラス全体を見渡せる。席数は8つ。乗客は西園寺を入れて4人だった。

まず西園寺は、立ち上がりざま、密かに右どなりの安田の顔をのぞき込んでいた。

ずいぶん威勢のいい青年だ。あれほど格好をつけていたのに、いまはシャツのボタンが外れ、口を開けたままイビキをかいて寝入っている。年齢は30代半ばといったところか。たまに銀座の高級寿司屋などで、同じ雰囲気の若い経営者と出会うことがある。おそらくビジネスがうまくいって懐具合がいいのだろう。

いま好調だとしても、いつ急変するかわからない。それがビジネスというものだ。いまを楽しんでおけばいい。


安田の斜め右後ろの窓側の席には、金縁メガネをかけた男性が英文のレポートらしき書類に目を通していた。年齢は40代後半だろう。学会に向かう開業医のようにも思える。

だが、合理的な行動ができる開業医ならファーストクラスには乗らないはずだ。会計を使えば、その理由は簡単に証明できる。

彼の月収を1000万円だとしよう。1年で200日働いたとして、1日の収入は60万円だ。ファーストクラスの航空券は3~4日分の報酬に相当する。

旅行で診療所を4日休めば240万円の収入を断念せざるをえない。つまり240万円の機会損失が生じることになる。したがって、彼の損失は往復で合計480万円という計算になる。だから、開業医は自腹を切ってまでファーストクラスに乗って、無報酬の学会には参加しないのだ。


となると、この人物は、ファーストクラスで移動してもその間の報酬を請求でき、しかもなんのためらいもなくこの馬鹿げた航空券代を得意先に押しつけることのできる職業、ということになる。

おそらく政治家か、外資系のコンサルタントだろう。

(第3回に続く)



林 總

カテゴリ:スキルUP

【著者紹介】林 總(はやし・あつむ)
公認会計士、税理士、明治大学大学院特任教授(管理会計)。外資系会計事務所、監査法人勤務を経て独立。現在、経営コンサルティング、会計システムの設計・導入指導、講演活動を行っている。ベストセラー『ドラッカーと会計の話をしよう』(KADOKAWA)ほか著書多数。

【書籍紹介】『ドラッカーと生産性の話をしよう』(KADOKAWA)

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