日本史「その後」の謎クイズ⑤マニラに追放された後、高山右近はどうなった?
誰もが知る歴史上の出来事でも、なかなか知ることができないのが「その後」。雑学総研さんの『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎大全』(KADOKAWA)から、とっておきのエピソードを学びましょう!
次の質問の答えとして正しいものを選んでください。
戦国時代、数々のキリシタン大名の中でも、敬虔さにおいては群を抜いていた高山右近だが、豊臣秀吉の「バテレン追放令」や徳川家康による宣教師の国外追放令により、マニラ(フィリピン)に追放された。右近はその後どうなった?
- マニラで日本語教師になった
- フィリピン女性と結婚し、穏やかに過ごした
- マニラに到着後まもなく熱病で死んだ
【ポイント】
右近一行が乗った船の甲板や通路は、食糧難や悪天候で病に伏す者であふれかえり、高齢の神父は命を落とすほどであったというが、マニラに到着した一行は熱烈な歓迎を受ける。現地の要人は船に乗り込んで彼らが来るのを出迎え、要塞砲は一斉に祝砲を鳴らし、右近らを見ようと多くの人びとが押し寄せたという。祝宴の席ではマニラ総督が右近のために数軒の屋敷を与えることも約束してくれた。ただ、ひと月以上の長旅が体をむしばんだのだろう。右近は到着からわずか四十日余でこの世を去ってしまう(1615年2月没、享年63歳)。直接の死因は熱病という。
参照元:『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎大全』(雑学総研著、KADOKAWA)