日本史「その後」の謎クイズ⑥室町幕府最後の将軍・足利義昭の晩年は?
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次の質問の答えとして正しいものを選んでください。
室町幕府最後の将軍・足利義昭の晩年の様子は?
- 豊臣秀吉の家臣として活躍した
- 京都に戻って出家した
- 商人となって成功した
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著者:雑学総研
出版社:KADOKAWA
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【ポイント】
織田信長の意向により1568(永禄11)年に征夷大将軍となった足利義昭だったが、信長は天下に号令するうえで義昭の権力を思うままに利用することしか頭になかった。そのため、義昭は信長に不信感を抱き、反目するが、1573(元亀4)年にはともに信長包囲網を形成していた武田信玄が亡くなり万事休す。義昭は白旗を上げ、240年余続いた室町幕府は終わりを告げる。本能寺の変後、信長から羽柴(豊臣)秀吉に権力の座が移った世の中では、義昭のそれまで積み重ねてきた経験はあまりにも役に立たなかった。1587(天正15)年に秀吉が天下をほぼ統一したのちは京都へ戻ることができたが、義昭はその翌年に昌山と号して出家。1597年(慶長2)年8月、腫れ物が原因となり、61歳で没している。晩年の義昭がいかにみじめであったかがわかる逸話がある。秀吉による朝鮮出兵のときのこと、秀吉が肥前名護屋城を訪れた際に義昭もそれに同行したのだが、義昭に馬が与えられることはなかった。かつての栄光を知っている公家たちは、あまりに凋落したその姿に涙を流したと伝わっている。
参照元:『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎』(雑学総研著、KADOKAWA)