日本史「その後」の謎クイズ⑦土佐国の戦国大名・長宗我部盛親は一時期どこに“転職”した?
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次の質問の答えとして正しいものを選んでください。
土佐国の戦国大名・長宗我部盛親は、14年間ほかの仕事をしていたことがあるといわれている。それはどんな仕事?
- 農家
- 茶屋の主人
- 寺子屋の師匠
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著者:雑学総研
出版社:KADOKAWA
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【ポイント】
土佐国(現・高知県)の戦国大名・長宗我部盛親は、関ヶ原の戦いのときは西軍に与していたが、西軍が劣勢と見るや戦場から逃亡。戦後は徳川家康に詫びを入れて生き延びた。だが、かつて、家臣にそそのかされたとはいえ盛親が兄・津野親忠を殺害していたことを知った家康は、盛親への不信感が増し、領地を没収。盛親はその後、京都へ入って蟄居の身となり、髪を下ろして大岩祐夢(幽夢とも)と名乗った。しかも驚くことに、戦国武将という前歴があるにもかかわらず寺小屋の師匠として14年間も務めていたという。しかし、平穏な日々は家康が引き起こした大坂の陣で再び豊臣側についたことから暗転。大坂城が落ちたその日、蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)の家来に捉えられ、斬首されている(享年41歳)。二度も家康に歯向かった男に、命はなかった。
参照元:『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎大全』(雑学総研著、KADOKAWA)