日本史「その後」の謎クイズ⑧源平合戦における「扇の的射ち」で知られる那須与一は、その後どんな人生を送った?
誰もが知る歴史上の出来事でも、なかなか知ることができないのが「その後」。雑学総研さんの『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎大全』(KADOKAWA)から、とっておきのエピソードを学びましょう!
次の質問の答えとして正しいものを選んでください。
源平合戦における「扇の的射ち」で一躍有名となった那須与一は、その後どんな人生を送った?
- 的射ちの指導者になった
- その腕を買われ、義経の側近になった
- 法然の弟子となり、弔いの旅に出た
【ポイント】
ある伝承によると、下野国(現・栃木県)の那須に戻った与一は、梶原景時の讒言(ざんげん)によって越後に配流(はいる)となったものの、1199(正治元)年に許されて那須へ戻ると、烏山城の南に曹源院を開いてそこに住み、1202年(建仁2)年には髪を剃って法然の弟子となり、源蓮という法名をえたという(のちに信願房と改名)。その後西国へ赴き、源平合戦において命を落とした兵士の菩提を弔う旅を続け、摂津国にて没したという。
※那須与一に関してはこのような伝説が多くあり、どれが史実として正しいのかは定かではない。
参照元:『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎』(雑学総研著、KADOKAWA)