日本史「その後」の謎クイズ⑬『枕草子』で知られる女流作家の清少納言は、宮廷を去った後、どんな暮らしをしていた?
誰もが知る歴史上の出来事でも、なかなか知ることができないのが「その後」。雑学総研さんの『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎大全』(KADOKAWA)から、とっておきのエピソードを学びましょう!
次の質問の答えとして正しいものを選んでください。
『枕草子』で知られる女流作家の清少納言は、後楯である一条天皇の中宮・定子が宮廷を辞し、亡くなると、自身も宮廷を去ることを余儀なくされた。その後はどんな暮らしをしていた?
- 結婚し、子宝にも恵まれ、生涯豊かに暮らした
- 華やかな世界とかけ離れた生活を送り、最晩年に墓守になった
- 山寺で尼となり、仏に仕えながら、歌を詠んだ
【ポイント】
宮廷を去ることを余儀なくされた清少納言は、受領・藤原棟世と再婚するものの、地方へ下る。その後の清少納言だが、『古事談』によれば、若い殿上人たちが彼女の家の前を通りかかったとき、その家の汚さから「清少納言も落ちぶれたものだ」と嘲笑したところ、鬼のような形相で簾(みす)を上げて顔を出し、「駿馬の骨を買はずやありし」と反撃したという話が残っている。これは中国の故事にならったもので、「私はいまでは馬の骨のようになってしまってはいるが、かつての駿馬のような私を厚遇すれば、有能な人材が必ず集まってくる」という意味に解釈できる。最晩年については、定子が葬られている鳥辺野御陵が間近に望める洛東の月輪に隠棲し、墓守になったと伝えられている。
参照元:『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎大全』(雑学総研著、KADOKAWA)