日本史「その後」の謎クイズ⑨板垣退助は「板垣死すとも自由は死せず」という名セリフの後どれくらい生きた?
誰もが知る歴史上の出来事でも、なかなか知ることができないのが「その後」。雑学総研さんの『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎大全』(KADOKAWA)から、とっておきのエピソードを学びましょう!
次の質問の答えとして正しいものを選んでください。
幕末から明治にかけての政治家・板垣退助といえば、「板垣死すとも自由は死せず」という名セリフでおなじみだが、板垣はその後どれくらい生きた?
- 数日
- 約1年
- 約20年
- 約40年
【ポイント】
「板垣死すとも自由は死せず」は、板垣退助が1882(明治15)年4月に岐阜県で刺客に襲撃された際に発したものと伝えられているが、この後板垣が死んだかといえばそうではない。この事件の後40年近くも生きており、亡くなったのは1919(大正8)年7月、82歳のときのことであった。この言葉は自由民権運動を象徴するものとして教科書でも教えられてきたが、実際に板垣が言ったものなのかという疑問が呈されている。当時の岐阜県御嵩警察署の御用掛が警察署長に提出した「探偵上申書」によると、刺された板垣は出血しながら「吾死するとも自由は死せん」と述べたとある。このセリフが年を重ねるに伴い、先の言葉へと変化していったようである。
参照元:『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎大全』(雑学総研著、KADOKAWA)