日本史「その後」の謎クイズ⑭「青年よ、大志を抱け」という名言で有名なアメリカの化学者・教育家のクラークは、アメリカに戻った後何に苦しんだ?
誰もが知る歴史上の出来事でも、なかなか知ることができないのが「その後」。雑学総研さんの『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎大全』(KADOKAWA)から、とっておきのエピソードを学びましょう!
次の質問の答えとして正しいものを選んでください。
「青年よ、大志を抱け」という名言で有名なアメリカの化学者・教育家のクラークは、アメリカに戻った後何に苦しんだ?
- 家族との不仲
- 政治不信
- 裁判
【ポイント】
札幌農学校を辞め、アメリカの大学に復職したクラークだったが、大学の財政悪化で辞職を余儀なくされ、その後ニューヨークへ移って銀鉱山会社を設立する。だが、その会社も3年後に倒産し、以降、会社の資本金を出した叔父と裁判沙汰になり、敗訴。クラーク家の資産は叔父に渡ることになる。ただ実際は、叔父はクラークを不憫に思ったのか、裁判でえた権利を行使せず、家屋敷の権利や名義はクラークの妻や跡継ぎ、譲渡人などに譲ったという。1886年3月、クラークは59歳でこの世を去る。晩年は心臓病や肺炎などで体を病んでいた。クラーク死去の話が伝わった札幌農学校では、死の翌日の授業は中止され、彼を偲ぶ集会が開かれたという。
参照元:『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎』(雑学総研著、KADOKAWA)