日本史「その後」の謎クイズ⑮葛飾北斎は何歳で絵が「生けるがごとく」描けると考えていた?
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次の質問の答えとして正しいものを選んでください。
葛飾北斎は何歳で絵が「生けるがごとく」描けると考えていた?
- 50歳
- 70歳
- 90歳
- 110歳
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著者:雑学総研
出版社:KADOKAWA
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【ポイント】
浮世絵師・葛飾北斎が代表作『富嶽三十六景』を描いたのは1831(天保2)年で、このときすでに72歳だった。さらに、同じく自身の代表作である『富嶽百景』を出版したのは1834(天保5)年のことで、このときは75歳。もうすぐ80を迎えようとしている頃、北斎は画業の頂点を迎えていたのである。このとき、北斎は以下のようなことを述べていた。「私は50の頃からしきりに絵を描いてきたが、70前に描いた絵は取るに足らないものである。73歳にして鳥や獣、虫、魚などの骨格、草木が成長するさまを描くことができるようになった。それゆえ、80になると悟りがますます進み、90歳にでもなればその奥義を極め、100歳にはまさに神業を得ているだろう。110歳には非の打ちどころもなく、生けるがごとく描けるだろう」。70代にして、北斎はなんと110歳の未来の自分を見据えていたのである。
参照元:『誰も書かなかった 日本史「その後」の謎』(雑学総研著、KADOKAWA)